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フィリピン、KPACIO体験談その17、皆さんぜひ心に止めて置いてほしいのです

3月17日木曜日、朝のforumを終えた後、トンドの皆さんにお別れして、私たちはマラテに帰ります。

ハリエットさんの家で少し休んだ後(本人はオフィスに行っていて、いない)、
ダフネさんとともに近くにあるKPACIOのオフィスへ向かいます。
私がオフィスへ来るのは初めてです。

 

 中にいたのはハリエットさんだけ、あれ?ジャックさんは?っと口には出さないもののそう思っている私です。

っというのも、私にとってジャックさんはすごくレアキャラで、
以前FTCJのスタツアで来た時も、ハリエットさんとダフネさんは私たちと三日間活動をともにしましたが、
ジャックさんは三日目のreflectionに現れただけでしたし、
今回も最初に空港に迎えに来てくれた時以来、私はジャックさんに会っていません。


彼は58歳と言いますが、正直10歳くらい上に見えて、自分の考えをしっかりもった、
昔堅気な頑固なお爺ちゃんっと言ったかんじなのですが、私はこの人が好きです
(KPACIOのスタッフみんなそれぞれ好きですが)。

 

 少しして、ジャックさんがおいしそうな食べ物を買って帰ってきました。

"Jack-san!! I wanted to see you!(ジャックさーーーん、会いたかったですよおお)"
と言う私のそれには、ハートマークが三つくらい付いてそうな発音です。

ジャックさん1歩引いて思わず苦笑い、ハリエットさん爆笑!

ルンピアと言って、餃子みたいな食べ物(ただしかけるソースが甘い)と、
名前を忘れてしまったのですが、小麦粉とチーズとポテトを混ぜて焼いた小さなパンみたいなのと、
バナナをお昼ごはんにいただきます。

 

 ジャックさんが机を挟んで向かい側に座り、
ダフネさんとハリエットさんは少し離れた洗面所の辺りで立ち話をしています。

必然的に、私はジャックさんと会話することになります。
私はジャックさんをすごく尊敬していて(政治や経済など多方面にものすごく詳しいので、
ここに来た時彼に話しを合わせたいと思って事前に大学で「国際関係学概論」を受講していたくらい)、
そのチャンスがようやく来たわけなのですが、同時に彼は時間を守ることや礼儀にものすごくこだわる、
そして自分の意見を強く持っている人なので、話しをするにも言葉を選びながら慎重に...ということになります。

 

「この2週間はどうだった?」「いい経験になりました」「どんな経験をしたの?」などと話していて。

まあcritical(批判的)に一つ言ってしまうならば、ジャックさんは日本人に理想を持ち過ぎていますね。

息子さんが日本人女性と結婚して東京に住んでいるので、
日本を知らずに言っているわけではないとは思うのですが。

 

「僕は日本人を尊敬する(admireを使っていました)。

だってあんなひどい地震と災害が起きた後でも、彼らは落ち着いていた。
大人しく礼儀正しく、配給が配られるのを列になって待っていた。
怒鳴ったり、取りあったりする人なんていなかった。

オンドイ(1年半前の9月にマニラを直撃した台風)の後、フィリピン人たちはみな我先に配給品を取ろうと争った。
列なんて作ろうとせず、みんなが怒鳴り合っていた。
すでに配給品をもらった人でさえなおも取ろうとしていた。

それに、日本では災害で避難して空き家がたくさん出ているというのに、盗みなどの事件をまったく聞かない」

 

と、だから日本人はすごいんだ、だからフィリピン人はだめなんだ、みたいなことを延々と語るのです。

 

私は、ジャックさんとはまったく反対の考え方を持っています。

ここに来る前に読んでいた本の中に、

『私がお昼時にインタビューで家を訪ねると、人々は昼飯は済んだかと聞く、
まだだと答えると食べていけと言う。

日本で、突然お昼時に訪ねてきた外国人に昼食を御馳走したりするでしょうか』

という文がありました。

 

また、『なんとこの村では95%の人が失業していると言うのです。
日本やアメリカならばとっくに暴動が起きているでしょう。
それなのに、フィリピン人たちはよく我慢しているなあと思います。
確かにマニラなどで度々犯罪が起きますが、この失業率からしてみれば少ないほうではないでしょうか。
この状況が日本ならば、きっともっとたくさんの犯罪が起きているはずです』

という文があり、なるほどなあと思いました。

 

日本人はこれ、フィリピン人はこれと決めつけることはできませんし、
べつに日本を悪く言いたいわけでも無いのですが、
基本的にフィリピン人のほうが優しいですし、少なくとも余所者や他人に優しい、と私は思います。

なので私は思わず、

「そうですか?
それは、日本人たちは、待っていれば確実に配給がもらえると分かっていたから大人しく並んでいただけですよ。
もし配給品が十分ではなくて、自分はもらえないかもしれないと思ったら、彼らだって我先に争ったと思いますよ」
と反論しました。

 

するとジャックさんは上に書いた自分の意見をさらに事例を加えながら繰り返し、私を説得にかかります

。「でも、フィリピン人の多くはキリスト教徒でしょ?
キリスト教徒は隣人を愛する(他人を思いやる)のではないのですか?」

と言うと、

「いや、確かにフィリピン人の多くがキリスト教徒だけど、彼らは生まれてすぐ洗礼を受けているから、
実際にはキリスト教の考え方をちゃんと理解した人なんてほとんどいない。見た目だけだよ」

とジャックさん。

 

そこまでフィリピン人をさげすむか?
どうやらこの人には反論しないべき、と悟ったので、後はいろいろ思うことはありながらもうなづいてました。

 

 ここで皆さんにも考えていただきたいことがあります。

「日本人はフィリピン人の優しさを見習うべき」という私の考え方はさておき、
ジャックさんを初めKPACIOの皆さんは日本人を尊敬していると言います。

災害が起きた時他人を思いやる行動、列になって配給を待つ礼儀正しさ、弱い者から盗まない常識、
今回の大地震ではそれらの日本人の良さが表れていたと彼らは言います。

私たち日本人を、他国の人々がそうやって評価してくれているのです。

彼らの尊敬を裏切らないよう、日々の行動には気を付けたいものですね。

 

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7月のお花

編集部・すりいでぃ店舗前のプランター。
今月はハイビスカスが咲いてます(●^o^●)

写真:赤のハイビスカス

 

フィリピン、KPACIO体験談その16、楽しめない時だってあるのです


翌日、朝から慣れない洗濯(中流家庭のハリエットさんの家でも洗濯機など無いので桶で手洗い)をする私です。

ちなみに、なるべく荷物を減らすため、私は最低限の服しか持って来なかったのですが、
今フィリピンは乾季で水不足、洗たくは1週間に1回しかできないという、待っていたのはまさかな現実、
だから1週間を4種類の下着と2枚のtシャツ、1本のズボンで過ごすはめになってしまっていた私です。

 慣れないままようやく最初の桶の洗濯物を終えたところで、朝ごはんだよと呼ばれ、
そのまま久しぶりにきれいなバスルームでシャワーを浴びます。

終わって出てきたら、ハリエットさんが、残っていたもう一つの桶の洗濯物をやってくれていて...
(私の手つきがあまりに慣れてないからか?)。

 

「あ、やってくださったんですか?すみません、ありがとうございます」と言うと、

「あ、うん、それ以外何もすること無かったから」という風に、
「やってあげたよ」とは言わないところがフィリピン人です。

どことなく、日本人に似ている気がしませんか?

 

3月14日の月曜日から木曜日まではトンドにあるスラムへ向かいました(またダフネさんといっしょです)。

ここでは、お話しするようなことはとくにありません。

なぜなら、もうデイケアセンターでは学期が終了していて通常授業は無く、
卒業式に向けての歌とダンスの練習だけになっていて、その練習時間の1時間をもらって、
毎日折り紙を教えたり、story tellingをしたりしていただけで、私の役目はその午前午後それぞれ1時間だけでした。

 

しかも、ここはとにかく人数が多く、それぞれのクラスが35人くらいの子どもがいるので、
全員に大人しく座っていてもらうことなど不可能で、
月曜日火曜日は折り紙をやったのですが、折り紙を教えるには人数が多すぎて、
急きょ予定を変更して、水曜日はゲーム(猛獣狩りや爆弾ゲーム)をやりました。

 

ついでにこの三日間はちょっと体調を崩し、
ソルドアイ(フィリピンで水が汚いことから感染する結膜炎みたいなもの)かと思われる眼やにが止まらない症状と、
午後になると襲ってくる片頭痛に悩まされていました。

 

もう一つ私のテンションを下げる原因が、このデイケアセンターで働いている先生方やお母さんたちは、
学歴的にはマラボンの人々より高く(トンドのほうがマラボンよりほんのちょっと裕福)
高校まで卒業できているお母さんも多いので英語はそれなりにできるくせに、
マラボンの人々ほど英語を使おうとはしてくれず、明日私が子どもたち相手に何をするか、
という話し合いが行われているというのにみんなタガログ語だけで相談して、私には結論だけが伝えられるという、
そして結論を言い渡した後で"Any question?(何か質問ある?)"とだけ聞かれるという、

何だよ、もう決めたんでしょ?
結論だけ聞かされて話し合いの過程を理解してないのに質問も何もできるわけないでしょ、

とどうしても思ってしまい、やる気はどんどん失せていくという。


もう一つ、マラボンでもやったように、外に出てコミュニティを歩いて
周囲の人々と仲良くなることを望んでいた私だったのですが、
トンドは治安が悪く、スリが多いから危ないから外には出てはいけないと言われ、
ほとんどずっとデイケアセンターに閉じ込められていて。

 

だから、フィリピン2週目で生活にも先週より慣れたはずですし、
タガログ語も先週よりうまくなっているはずなのに、ここではとくには楽しい思い出は無く、
仲良くなった人もべつにいなくて、子どもたちの名前なんて誰も覚えてないんです。

 

唯一トンドでよかったことは、ここだけ携帯の電波がいいみたいで、
日本の人たちとメールの遣り取りができたこと...くらいでしょうか
(フィリピンに来てからはずっと電波が悪く、電話は繋がるのですが
iモードセンターにめったに接続できなくてメールの送受信がほとんどできずにいました)。

 

トンドでも木曜日の朝、保護者に向けてのforumをやりました。

前回とほぼ同じことを話し、質問タイムになります。
でも、「日本の地震の状況はどうなの?」など辺り触りの無い質問だけが出て
(しかも私に日本の状況聞かれても、むしろニュースはタガログ語でtsunamiくらいしか理解できてない私なのですから、
私のほうが教えてほしい)、

"Can I ask personal question?(個人的な質問をしてもいいですか?)"と聞いた人がいたわりには、
personalなquestionは一つも出ませんでした。

 

 一つ発見と言えば、フィリピンではタガログ語バージョンのドラえもんを放送していることを知りました。
毎朝、8時半から9時までの30分間はドラえもんをやってるんです。

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フィリピン、KPACIO体験談その15、ビーナスジュピター

 ナボタスから真っすぐハリエットさんの家(マラテ)に帰るものだと私は思っていたのですが、
帰りのジプニーの中でダフネさんに、

「今日の夕食は、ハリエットさんの友達が経営しているレストランで食べるから。
ハリエットさんとはそこで待ち合わせてるから」

と告げられます。

経営者は日本人らしいです。

ジプニーを下りて電車に乗り、タクシーに乗り、
「ビーナスジュピター」というレストランに到着します。

 

なんとも...高級な雰囲気...。

 

ちなみに、スラム帰りのその日の私のかっこうは、
中学2年の時から8年間着ている襟首の伸びきったtシャツと、
小学校5年の時以来履いている長ズボン
  (しかも途中で丈上げしていた裾を下ろしたりしていて裾だけ微妙に色が違う)、
2000円で買って高3の時から毎年履いているのでもうボロボロになり、
しかも今日湿地帯を歩いたせいで泥だらけになった靴を身につけ、
100円金一で買ったシュシュで髪を結び、
マラボンでジャレットのお婆ちゃんからいただいた櫛を前髪に刺している...

という、日本のレストランならドレスコードでたちまちひっかかりそうな、
この日初めてフィリピン人のサイドカーのドライバーに
「この子もフィリピン人かい?」と聞かれたような実なりをしていました。

{なんで小学校の時買った服がまだ着れているのかって?
中1を最後に大きくなっていないという悲しい現実のせいに決まってるじゃないですか。
親孝行な娘でしょ?}

 これまで1週間スラムで過ごしてきた私は、
落ち着いた高級な雰囲気のレストランの椅子で非常にuncomfortable(居心地が悪い、落ち着かない)なのです。

 

それまで公園で遊んでた小学生が突然連れ出されて、
ホテルの最上階のレストランに連れてこられた、そんな気分なのです。

 

いいえuncomfortableの理由のもう一つは、
今この店にいるお客さんが、私とダフネさん二人だけだ、という現状です。

 

後にハリエットさんがやってきて、私たちは注文します。

どうやら、日本料理の店です。

なぜフィリピンにまで来て、ちょっと怪しい日本料理を食べなければならないのか...
最初あまり理解できなかったのですが、
ここはNGOのスタッフたちが経営しているレストランらしくて、
売上の一部がスラムの子どもたちの教育費に変わるのだとか。

 料理も終わりにかかったころ、

"Harriet! Thank you for comming!(ハリエットじゃない、来てくれてありがとう)"

という声とともに女の人登場。

ハリエットさんは手早くダフネさんと私を紹介します。

"Is she Japanese? Japanese?"

と慎重に確認するその人。

 

それもそのはず、普通の日本人、たぶんこのかっこうでは現れないですよね。

スラムにいる時はみんなに馴染んで壁を無くすのに有効な服装ですが、
日本人に会うとなるとちょっと恥ずかしい。

私が日本人だと分かると、

「初めまして、中村と申します」

と突然日本語になるその人。

お互いに自己紹介だけちょっと日本語で話した後、

私が"We were talking about ..."
とハリエットさんとダフネさんに、大まかな内容を伝えます
(自分が周囲がタガログ語しか話さない中で寂しい想いをよくしているので、
日本語で話した後私はかならず内容をフィリピン人にも伝えます)。

 

そこから後は、全員で話しをシェアできるように4人の言語は英語です。

中村さんはこのレストランの経営のことやスタッフのことなど、いろいろ話してくれました。

最後にはサービスでデザートが出て。
そのまま帰りはタクシーで帰宅という、これまで1週間スラムで過ごした私にはもったいないようなリッチな時間でした。

 

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フィリピン、KPACIO体験談その14、ナボタスのスラムへ


 3月12日土曜日。

 午前中だけ休みで、午後からダフネさんとともにナボタスにあるスラム地域に出かけます。

ここは川の近くの湿地帯で、スラムは全体的に地面が湿っていて、
コミュニティの中では道の真ん中を縦断するように溝が彫られていたり、
あちこちに水たまりがあったりと、私にとっては限りなく歩きにくいスラムでした。

 

しかも...今日は1日しか来ないからいいですが、
ここってきっとゴキブリの宝庫、ステイしたい場所ではありません。

 

今日相手にするのは主に小学生と高校生です。
(フィリピンには中学校は無く、小学校6年間の後は高校4年間の10年教育で、義務教育は小学校だけです)。

 


 アテ ルーシーというお母さんの家に通され、
そこに時間が来ると子どもたちが集まってくると言います。

最初はその家の息子さん(10歳くらいでしょうか)とその友達数人だけがいました。

フィリピン人はとてもfriendlyですが、見ず知らずの人にいきなり話しかけてくるほど強引ではありません。

とくに、あまりお客さんに慣れていないスラムに行った時は、
最初は寄ってきてくれないのが普通です(興味駸々に見てはいるらしいですが)。

 

そんな子どもたちと仲良くなるのに効果的なのが折り紙です。

おもむろに折り紙を取りだして折り始める私です。

折り紙で子どもたちを集めるのには順番があります。

まずは朝顔など時間をかけずにできる物を一つ折って、1番近くにいる子に渡します。
これで、子どもたちはこっちを見始めているはずなんです。

その視線を感じながら、次は鶴など少し時間がかかる物を作って、また近くの子に渡します。
 鶴はけっこう見応えがあるので、子どもたちはかなり興味を持っているはずなんです。

 3番目に、すぐできる紙飛行機などを折って、
少し離れたところ(向かい側など)にいる子に向かって投げてあげます。
そうすれば輪も広がりますし、たいていの場合、紙飛行機をもらった子はそれを持って外に出て、
他の友達に見せに行き、さらに友達を連れて戻ってくるので見物人が増えて行きます。

その間に、ボートや帽子など、時間稼ぎの作品を二つくらい作ります。

人が増えたなあと想ったところで、もう1回鶴を作ります。

後は雰囲気を見ながら、適当に...です。

 

もうこのころには、子どもたちはすぐ近くまでやってきて手元を覗きこんだり、
私に名前を聞いてきたりしていますから。

 

ここナボタスでもこの手順でみんなと仲良くなっていきました。

 気が付くと私の左隣に、ピッタリくっつくように小さな小さな、とてもかわいい、
お人形さんみたいな女の子が座っていました。

 

後で聞いた話、彼女はここのお母さんであるアテ ルーシーの姪っ子さんで2歳、らしいですが。

 

不思議なことに、私は「この子が1番かわいい」とか「かっこいい」と思った子に相手からも好かれる...
という特性を持っています。

 

マラボンのジャナンロバートがそうだったのですが、
この2歳の子も、基本的にはお客さんには寄って行かないすごくシャイな子らしいのですが、
なぜか私にピッタリくっついて手を伸ばしてきていたので(たんに折り紙がほしいだけ?)、
いやあ、今日はこの子を連れて帰ろうかな、と。

 

 小学生、あるいは高校生ともなれば、それなりに英語が話せます。

すくなくとも、"What's your name?"とか"Where are you from?"ぐらいは言えますし、
簡単な会話なら私の答えも理解しています。

なので、コミュニケーションをとるのはマラボンよりはるかに楽です。

 

 ダフネさんの指示で最初に私、その後一人ずつ自己紹介をし、そこから質問タイムです。

「どうやって料理するの?」

「道路を渡る時はどうやって判断するの?」

「どうやってフィリピンまで一人で来たの?」

「どうやってノートとるの?」など、

ここでの質問はHowが多かったです。

アイバンという14歳(高校3年生)の男の子がとにかくおしゃべりandムードメーカーで、
次々とくだらない(?)質問を続けるのですが、
いつものように出るのが

"Do you have a boyfriend?(彼氏はいるの?)"。

ここでたんにNoと言うと場がしらけるだけなので、

"No.I am looking for!(いません。今募集中です)"

と付け加えるのがいつもの私の答えなのですが、彼の返事は予想通り

"I am single.(僕、彼女いないよ)"、

周囲冷やかしと爆笑...という。

 

ここの男の子たちの中で1番かっこいいのは13歳(高校1年生)のデブンでしょうか。

21人いる子どもたちの中で彼が1番英語がうまく、
みんなからの質問の多くを彼が代表して英語で言うのですが。

いつものようにみんなに折り紙でエロプラノ(タガログ語でairplaineの意味)と
ソンブレロ(タガログ語でhat)を教えた後、
ダフネさんの指示でみんながお題に合う絵を書き、今日のプログラムは終了です。

 

すると、帰り際にデブンは私の前にやって来て、

「これ、リメンバランスとして君にあげるから。
僕の名前はデブンだぞ、覚えててね」と、

折り紙で今日作ったエロプラノとソンブレロを渡して帰ったのでした。

 

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