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フィリピン、デュマゲッティ体験談その10、無実なのに...
刑務所のオフィサーに質問を続けるうちに、私たちの中に疑問が浮かびます。
刑務所に入っている大人たちは外で自由にできる、
なのにユースセンターの子供たちはあの狭い建物から出ることができないし、
資金不足で食べ物もお肉とかめったに出ないらしくて育ち盛りの彼らはいつもお腹を空かしている。
それに、私たちがインタビューした男性のうち一人は実はまだ17歳で、
あまりにも何度もユースセンターから脱走したがためにやむを得ず1年早く刑務所に入れた子なのですが、
彼は刑務所のほうが居心地が良いし楽しい、今のところここに不満は無いと話したのです。
じゃあなぜわざわざ子供たちを保護しているのか、
何のために、なぜ子供たちのほうが檻みたいなところに閉じこめられ、
少ない食事で生きなければならないのか、本当に保護なのか?
私たちはこの疑問をオフィサーにぶつけます。
理由はやはりバスケットボールなどをするにしても
10歳くらいの小さな子が大人の男性にまじってプレイするのは危険だし、
あと子供たちのたいていの罪は食べ物を盗んだ程度のものなのに、
大人と同じ部屋にいたら麻薬の使用法とか鉄砲の入手法など良からぬことを学んでしまうから、だそうです。
囚人たちがイライラしないよう食事やアクティビティに気を使っているので、
少なくともここ3年は刑務所内で喧嘩や虐待が起きたことは無いそうです。
まあ確かに良くない影響を受けるかもしれない、
だったら子供たちだけの部屋を作ればいいじゃないか、
こんなにスペースがあるなら子供たちだけの運動場を作ればいいじゃないか...。
まあ刑務所の施設がこんなに整っているのは場所によるのかもしれなくて、
地域によってはただの檻なのかもしれませんが、
子供たちを刑務所から保護することが一概に良いことだとは言い切れないかもしれない
(まあプレダほど自由に遊べるならいいのか?)というのが私の結論です。
その後、囚人の女子寮に行った時、
「日本人ですか?」
とけっこううまい日本語で話しかけてきた囚人がいて。
"Yes, we are Japanese. Why can you speak Japanese?
(はい、日本人です。どうして日本語が話せるのですか?)"と私たち。
「私は、日本に行きました」
彼女はたどたどしいながらもほとんど日本語で話してくれました。
今はもう40歳を過ぎていて23歳の娘がいるのですが、
1991年ごろ仕事で3回日本を訪れています。
1度目は名古屋、2度目は岐阜、3度めは徳之島。
ただ、心が痛んだのは、
"What kind of job you had in Japan(日本でどんな仕事をしていたのですか?)?"
と聞くと、
「あの...エンターテイメント」と答え。
つまり、人前で踊ったり何か芸当をしたり、
場合によってはメイド喫茶のようなところで奉仕したり、
売春産業で売られていた、ということです。
実際、日本には多くのフィリピンパブがあるのをご存知でしょうか。
そういうところで働いていたということです。
今でもまた日本に行きたくて、日本が好きだから20年間日本語の勉強を続けてきたと話、
刑務所にも英和辞典を持って来ているのです。
"Why do you like Japan(どうして日本がそんなに好きなのですか?)?"と聞くと、
すごく言いにくそうに「...あのう...お金ない」
"So if you go to Japan, you can get much money than here?
(つまり日本に行けばここにいるよりたくさんお金が稼げるからっということですね?)"
「はい......恥ずかしい」...まあ、これが現実なんですね。
貧しい暮らしからの脱却を求めて母国を捨てる→言葉が通じない国に来る→苦労する→ようやく仕事を見つける→エンターテイメントなど自分をおもちゃとして提供する職業→お金ほしさにどんな仕事でも行い日本語を拾得→お金を稼げる国が好きになる→また来る......。
さらに心を痛める話があります。
彼女が刑務所に来たのはこれが2度目で、1回目は麻薬を使用した罪でした。
デュマゲッティにはある特定の、違法で麻薬取引が行われている場所があり、
彼女はそこで逮捕されました。
釈放された後、彼女はまたその場所に行きました。
でも2回目は本当にただその場所に行っただけで何もやっていないのです。
でも、彼女が1度罪を置かしているので2度目を恐れた警察が、
彼女の知らないうちにコッソリ彼女の鞄の中に麻薬を入れておき、
麻薬所有の罪を押しつけて逮捕し、ここに連れてきました。彼女は無実でここにいるのです。
まだ裁判が行われていないので(5月終わりに来たばかり)
彼女がいつまでここにいなければならないのかは分かりません。
でも裁判では無実を証明する物は何も無く、逆に麻薬所有の証拠のほうがあるのです。
たぶん...彼女は1度罪を犯していることもあり、裁判で負けることが予想されます。
本人もそれを分かっていてだから半分あきらめていて、もう出られないことを覚悟しているのです。
そして、これが1番おかしい制度だと思うのですが、
フィリピンではどんな罪を犯しても(とくに麻薬売買や所有の場合)多額のお金を払えば釈放してもらうことができます。
彼女の罪の場合、5000ペソ(10万円)払えば今すぐ釈放してもらえます。
でも彼女にはそのお金はありません。
逆に言えば、外国人がフィリピンで罪を犯しても、すぐお金を払って釈放されるのです。
10万円くらい、日本人なら大学生でさえ頑張れば払える金額ですよね。
だから日本人など先進国の人々は覚醒剤の取引をしたり児童売春をするのに、
ここフィリピンを選び、1回くらい逮捕されてもこりずにまた来るのです。
また10年くらい世の中には出られないかもしれない...
そう覚悟している彼女のところに訪ねて来る訪問者はいません。
旦那さんはすでに亡くなっており、23歳になる娘さんはめったに彼女を訪ねては来ません。
だから彼女は私たちに最後まで
「また来てね、また、よろしくね」と言っていました。
私たちはそれに返事をすることができません、また来ることはもう無いのです。
「ここから出られたらまた日本で会おうね」とごまかすしかないのです。
私たちがこの1ヶ月のサービスラーニングに費やしたお金は25万円。
そう考えると日本に帰って自分たちのバイト代や奨学金をかき集めれば、彼女を救うことくらい本当はできます。
でもあくまで授業のいっかんとして来ている私たちはそれをすることは許されません。
また彼女の話によると、同じように無実の罪でここに入れられている友達が他にもたくさんいると言います。
一人救ってもきりがないのです。
けっきょく私たちは彼女を残して刑務所から帰ってきたのです。
刑務所の敷地を出る時、案内してくれた女性スタッフが、
「日本にはNGOなどの団体がありますか?
もしあるなら、ぜひあなたたちは日本の団体にこの状況を伝えてほしいのです。
私たちをヘルプしてほしいのです」と話します。
「私たちに何ができますか?」と聞くと、
「ただここに来て、囚人たちを訪ね、アクティビティ(やること)を提供してほしいのです。
彼らにはアクティビティが不足しています。
また多くのプリゾナーには訪問者がいません。
訪問者が来る人はごく少数で、彼らはそれをうらやましく思いながら常に寂しさと戦っています。
だからあなたたちには彼らの訪問者になっていただきたいのです」と話していました。
※最後に写真です。その日本語を話せる女性と私の2ショットです。
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