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フィリピン、KPACIO体験談その15、ビーナスジュピター

 ナボタスから真っすぐハリエットさんの家(マラテ)に帰るものだと私は思っていたのですが、
帰りのジプニーの中でダフネさんに、

「今日の夕食は、ハリエットさんの友達が経営しているレストランで食べるから。
ハリエットさんとはそこで待ち合わせてるから」

と告げられます。

経営者は日本人らしいです。

ジプニーを下りて電車に乗り、タクシーに乗り、
「ビーナスジュピター」というレストランに到着します。

 

なんとも...高級な雰囲気...。

 

ちなみに、スラム帰りのその日の私のかっこうは、
中学2年の時から8年間着ている襟首の伸びきったtシャツと、
小学校5年の時以来履いている長ズボン
  (しかも途中で丈上げしていた裾を下ろしたりしていて裾だけ微妙に色が違う)、
2000円で買って高3の時から毎年履いているのでもうボロボロになり、
しかも今日湿地帯を歩いたせいで泥だらけになった靴を身につけ、
100円金一で買ったシュシュで髪を結び、
マラボンでジャレットのお婆ちゃんからいただいた櫛を前髪に刺している...

という、日本のレストランならドレスコードでたちまちひっかかりそうな、
この日初めてフィリピン人のサイドカーのドライバーに
「この子もフィリピン人かい?」と聞かれたような実なりをしていました。

{なんで小学校の時買った服がまだ着れているのかって?
中1を最後に大きくなっていないという悲しい現実のせいに決まってるじゃないですか。
親孝行な娘でしょ?}

 これまで1週間スラムで過ごしてきた私は、
落ち着いた高級な雰囲気のレストランの椅子で非常にuncomfortable(居心地が悪い、落ち着かない)なのです。

 

それまで公園で遊んでた小学生が突然連れ出されて、
ホテルの最上階のレストランに連れてこられた、そんな気分なのです。

 

いいえuncomfortableの理由のもう一つは、
今この店にいるお客さんが、私とダフネさん二人だけだ、という現状です。

 

後にハリエットさんがやってきて、私たちは注文します。

どうやら、日本料理の店です。

なぜフィリピンにまで来て、ちょっと怪しい日本料理を食べなければならないのか...
最初あまり理解できなかったのですが、
ここはNGOのスタッフたちが経営しているレストランらしくて、
売上の一部がスラムの子どもたちの教育費に変わるのだとか。

 料理も終わりにかかったころ、

"Harriet! Thank you for comming!(ハリエットじゃない、来てくれてありがとう)"

という声とともに女の人登場。

ハリエットさんは手早くダフネさんと私を紹介します。

"Is she Japanese? Japanese?"

と慎重に確認するその人。

 

それもそのはず、普通の日本人、たぶんこのかっこうでは現れないですよね。

スラムにいる時はみんなに馴染んで壁を無くすのに有効な服装ですが、
日本人に会うとなるとちょっと恥ずかしい。

私が日本人だと分かると、

「初めまして、中村と申します」

と突然日本語になるその人。

お互いに自己紹介だけちょっと日本語で話した後、

私が"We were talking about ..."
とハリエットさんとダフネさんに、大まかな内容を伝えます
(自分が周囲がタガログ語しか話さない中で寂しい想いをよくしているので、
日本語で話した後私はかならず内容をフィリピン人にも伝えます)。

 

そこから後は、全員で話しをシェアできるように4人の言語は英語です。

中村さんはこのレストランの経営のことやスタッフのことなど、いろいろ話してくれました。

最後にはサービスでデザートが出て。
そのまま帰りはタクシーで帰宅という、これまで1週間スラムで過ごした私にはもったいないようなリッチな時間でした。

 

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フィリピン、KPACIO体験談その14、ナボタスのスラムへ


 3月12日土曜日。

 午前中だけ休みで、午後からダフネさんとともにナボタスにあるスラム地域に出かけます。

ここは川の近くの湿地帯で、スラムは全体的に地面が湿っていて、
コミュニティの中では道の真ん中を縦断するように溝が彫られていたり、
あちこちに水たまりがあったりと、私にとっては限りなく歩きにくいスラムでした。

 

しかも...今日は1日しか来ないからいいですが、
ここってきっとゴキブリの宝庫、ステイしたい場所ではありません。

 

今日相手にするのは主に小学生と高校生です。
(フィリピンには中学校は無く、小学校6年間の後は高校4年間の10年教育で、義務教育は小学校だけです)。

 


 アテ ルーシーというお母さんの家に通され、
そこに時間が来ると子どもたちが集まってくると言います。

最初はその家の息子さん(10歳くらいでしょうか)とその友達数人だけがいました。

フィリピン人はとてもfriendlyですが、見ず知らずの人にいきなり話しかけてくるほど強引ではありません。

とくに、あまりお客さんに慣れていないスラムに行った時は、
最初は寄ってきてくれないのが普通です(興味駸々に見てはいるらしいですが)。

 

そんな子どもたちと仲良くなるのに効果的なのが折り紙です。

おもむろに折り紙を取りだして折り始める私です。

折り紙で子どもたちを集めるのには順番があります。

まずは朝顔など時間をかけずにできる物を一つ折って、1番近くにいる子に渡します。
これで、子どもたちはこっちを見始めているはずなんです。

その視線を感じながら、次は鶴など少し時間がかかる物を作って、また近くの子に渡します。
 鶴はけっこう見応えがあるので、子どもたちはかなり興味を持っているはずなんです。

 3番目に、すぐできる紙飛行機などを折って、
少し離れたところ(向かい側など)にいる子に向かって投げてあげます。
そうすれば輪も広がりますし、たいていの場合、紙飛行機をもらった子はそれを持って外に出て、
他の友達に見せに行き、さらに友達を連れて戻ってくるので見物人が増えて行きます。

その間に、ボートや帽子など、時間稼ぎの作品を二つくらい作ります。

人が増えたなあと想ったところで、もう1回鶴を作ります。

後は雰囲気を見ながら、適当に...です。

 

もうこのころには、子どもたちはすぐ近くまでやってきて手元を覗きこんだり、
私に名前を聞いてきたりしていますから。

 

ここナボタスでもこの手順でみんなと仲良くなっていきました。

 気が付くと私の左隣に、ピッタリくっつくように小さな小さな、とてもかわいい、
お人形さんみたいな女の子が座っていました。

 

後で聞いた話、彼女はここのお母さんであるアテ ルーシーの姪っ子さんで2歳、らしいですが。

 

不思議なことに、私は「この子が1番かわいい」とか「かっこいい」と思った子に相手からも好かれる...
という特性を持っています。

 

マラボンのジャナンロバートがそうだったのですが、
この2歳の子も、基本的にはお客さんには寄って行かないすごくシャイな子らしいのですが、
なぜか私にピッタリくっついて手を伸ばしてきていたので(たんに折り紙がほしいだけ?)、
いやあ、今日はこの子を連れて帰ろうかな、と。

 

 小学生、あるいは高校生ともなれば、それなりに英語が話せます。

すくなくとも、"What's your name?"とか"Where are you from?"ぐらいは言えますし、
簡単な会話なら私の答えも理解しています。

なので、コミュニケーションをとるのはマラボンよりはるかに楽です。

 

 ダフネさんの指示で最初に私、その後一人ずつ自己紹介をし、そこから質問タイムです。

「どうやって料理するの?」

「道路を渡る時はどうやって判断するの?」

「どうやってフィリピンまで一人で来たの?」

「どうやってノートとるの?」など、

ここでの質問はHowが多かったです。

アイバンという14歳(高校3年生)の男の子がとにかくおしゃべりandムードメーカーで、
次々とくだらない(?)質問を続けるのですが、
いつものように出るのが

"Do you have a boyfriend?(彼氏はいるの?)"。

ここでたんにNoと言うと場がしらけるだけなので、

"No.I am looking for!(いません。今募集中です)"

と付け加えるのがいつもの私の答えなのですが、彼の返事は予想通り

"I am single.(僕、彼女いないよ)"、

周囲冷やかしと爆笑...という。

 

ここの男の子たちの中で1番かっこいいのは13歳(高校1年生)のデブンでしょうか。

21人いる子どもたちの中で彼が1番英語がうまく、
みんなからの質問の多くを彼が代表して英語で言うのですが。

いつものようにみんなに折り紙でエロプラノ(タガログ語でairplaineの意味)と
ソンブレロ(タガログ語でhat)を教えた後、
ダフネさんの指示でみんながお題に合う絵を書き、今日のプログラムは終了です。

 

すると、帰り際にデブンは私の前にやって来て、

「これ、リメンバランスとして君にあげるから。
僕の名前はデブンだぞ、覚えててね」と、

折り紙で今日作ったエロプラノとソンブレロを渡して帰ったのでした。

 

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 今さらこんなことを書かなくてももう分かっているよと言われてしまうかもしれませんが、
私はフィリピンの人々の人柄が好きです。

 

日本人よりもフレンドリーで自分とは違う人(外国人や障害者)に偏見を持たず、
他人に優しいところ、かと言って欧米の方々のように「自己主張第1」ではないところ...
それら全てが好きです。

 

 私とダフネさんは五日間ずっとデイケアセンターに寝泊まりしていたわけなのですが、
そこの先生方のうち1番年上のアテ ルースがずっと私たちの面倒を見てくれていて、
放課後も家には帰らず私たちに着き会い、夕食を作るのを手伝ってくれ、
1度家に帰って自分も夕食を食べた後、再びデイケアセンターに来て夜はいっしょに寝てくれる...
というようなかんじでした。

 

で、朝起きると、すでに彼女は起きていて、朝食の準備を始めているのです。

それに、寝る時は私とダフネさんはコンクリートの床の上に
御座みたいなのとシーツを敷いていますが、彼女の寝どこはありません。

たぶん、椅子に座ったまま机に凭れて少し仮眠をとっているだけなんです。

 よくそれで体力がもつなあと、大学生の私でさえきついと思うような生活をしてくれているのに、
彼女は愚痴の一つこぼしませんし、
「私はあなたたちのために苦労しているのよ」
というような態度はいっさい見せません。

 

 私はそんな彼女を人間として尊敬していましたし、心から感謝していました。

 

 そのような気持ちをぜひ彼女に一言伝えたいのですが、

「あなたをすごい人だと思うんです、感謝してるんです」

などとストレートに言ってしまうと、

「そ、そんな...、私はただ...」となってしまうのがフィリピンの人たちです。
(そんなところは日本人とちょっと似ているでしょうか)。

 

だから私は最終日の朝、以下のように言いました。

「アテ ルース、いったいあなたはいつ寝てるんですか?
だって、私が寝る時にはまだ起きていらっしゃるし、
私が目を覚ました時にはすでに起きていらっしゃるし...」。

 

これで彼女には十分私が言いたい意味は通じています。

 

「あなたが寝る間も惜しんで私たちのために尽くしてくれていることを知っています、感謝しています」

という意味なのですが、彼女は嬉しそうに笑って、「ちゃんと寝てるわよ」と優しく答えたのでした。

 

 3月11日金曜日の午後、保護者とのforumを終えた後、
私とダフネさんはマラボンの人たちにお別れして、マラテへ帰ります。

 

ジプニーを二つ乗り継ぎ、モニュメントの駅から電車に乗り、
下車してからサイドカーに乗るために待合室で待っていた時、
ダフネさんが妹からテキスト(携帯の番号で遣り取りできるメール)を受け取りました。

 

『日本で地震があったらしいんだけど、あなたのパートナー、Japaneseじゃなかったっけ?』

 

というそのテキストをダフネさんが英語に訳して教えてくれました。

以前サービスラーニングで1カ月いなかった時にも、
どこか中部地方辺りで小さな地震が起きたらしいことを帰国後聞いたので、
ああまたかあと呑気に想いながら、

...でも待てよ?その時はフィリピンにはそんなニュースが入らなかった...、

フィリピンにまで伝わっているということは...。

「大きいのですか?」

「分からない、妹はこれしか書いてなかったから。妹にテキストしてみるね」

「日本のどこなのか知りたいです」

しかしまあけっきょく、誰に聞いても「とにかく日本」という返事しか得られず、
夜に日本に住む人たちと連絡がとれるまで、私は震源地がどこなのかも、まったく何の情報も得ていませんでした。

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 質問タイムでは様々な質問が出ましたが一部ご紹介します。

「視覚に障害のある子を持った親のために、私たちに何かアドバイスをいただけませんか?」

「子どもたちが小さいころから、とにかく一つでも多くの物を触らせ、実体験を積ませてあげてください。
子どもたちは見て学ぶことができないのですから、触って体験してみるしか無いのです。
私が幼稚園のころ、先生は私たちを海や山やショッピングモールなどあちこちの場所に連れて言ったり、
様々な植物や生き物を触る機会をくださいました」

 

「日本にも差別はありますか?」

「時と場合にもよりますが、あります。
たとえば私が小学校の時、スイミングスクールに入るのを断られたことがありますし、
一般の学校に通っていじめられる子もいます。
私の親でさえ、お前は目が見えないんだから、どうせろくな就職先無いんだから、大学に行かなくていいと言いました」

 

もう最近ではいろんな人に言い慣れていることなので、
たんに英語になっただけで、私は軽くこれを口走ったのですが、
後で分かった話、この時参加者の方々はたいへんなショックを受けたようでした。

 

フィリピンでは、家族というものは日本以上に大事です。

そう言うと、日本でも家族を何より大切に思っている人はいるという反論を受けてしまうかもしれませんが、
でもフィリピンでは、自分はどうなってもいいから家族を幸せにしたいと言葉も通じない国に働きに出て来たり、
子どもを養うために徹夜でゴミ拾いをしたり体まで売ったりと、たぶん家族を想う気持ちは日本人より強いのです。

 

たまに...それが何かの表紙にひっくり返って、子どもをお金に変える親が生まれたり、
ストリートチルドレンが生まれたりと、日本以上に正反対の酷い状況を生み出してしまうのですが...。

 

 forumの最後には、パンにマヨネーズを挟んでサンドイッチを作るというデモンストレーションを行います。

「私が一人で暮らしているとか、料理をするとか言ってもきっとみんな想像がつかないでしょうし
信じてもらえないでしょうから、何か実演することはできませんか?」

とKPACIOの方々にお願いした結果、火や包丁を使うことは認められませんでしたが、サンドイッチなら、となりました。

 

それを作っている間も、周囲を走り回って遊んでいる3人の男の子。

私は作りながらダフネさんに聞きます、

"May I give it to the children?" "Sure"、

許可をもらったので一人ずつ呼んでいきます。

 

「ロバート、ハリカ(Come here)。
アンディトカ(Here you are)」

「サラマ(Thank you)」

「ワラン アヌマン(You're welcome)」

 

タガログ語を覚え始めて五日目ともなると、この程度なら子どもたちと言葉でコミュニケーションがとれます。

かなり危なっかしいやりとりで片言のタガログ語ですが、
それでも保護者の皆さんや先生が笑顔になる雰囲気を作るには十分です。

 

 forumの後、アテ ルースとアテ マリン・アテ シェリン、そしてダフネさんに取り囲まれ質問攻めに合う私です。

「なぜ?なぜあなたのお母さんはそのようなことを言ったの?
日本では子どもを大切にしないの?詳しく教えて、何があったの?」

私の英語で言い洗わせる限りで説明します。
少なくとも「日本人は家族を大切にしていない」などという誤解は起きないように。

 

「ね?ダフネさん。だから私が大学に入ってから家に帰ったことがほぼ無いわけなんです。
そして、だから私はフィリピンをhometownのように感じ、
ここの子どもたちの教育支援をしようと思うようになったわけなんです」

と話すと、みんな今度こそ本当に納得です。
私はこれまでにもしょっちゅう、
なぜフィリピンに来たんだ、
フィリピンで何がしたいんだ、
なぜフィリピンを選んだんだと聞かれてきました。

 

表向きは、

「これまでに友達やボランティアなどたくさんの方々に支えられて自分は勉強を続けられているから、
自分も誰かの勉強の助けになれたらと想うようになって、開発学に興味を持つようになりました。
大学ではあくまで教室で講義を受けるだけなので、それ以外に実体験のチャンスを持ちたくてここに来ました」

と答えていますし、これまでも様々な奨学金や面接でもそのように話してパスしてきたわけなのですが、
実際には1番の理由は言っていません。

 

これでもたいていの人は納得してくれるのですが、
自分でも何かしら肝心なことを言っていない感は残りますし、
なぜそこまでフィリピンに入れ込むのか、本気なんだということを
コミュニティの人々に分かってもらうのには限界がありました。

このforumの後の機会を境に、私はフィリピンで、自分の高3の時の経験を語っていくことにしました。
全て話せば伝わる、相手は受け止めて分かってくれる、ということを知ったからです。

 

 少し話しは飛びますが、私は自分の経験を、土日にハリエットさん(KPACIOの代表者)
の家に帰った時、彼女にも話しました。

そしてそれはもう一人のスタッフであるジャックさんにも伝わりました
(私個人のことについては、誰に伝えてもかまわないと言ってあります)。

ハリエットさんは、

「そういうことだったのね。いやあ、前から不思議だったのよ。
あなたは最初にフィリピンに来た時から家族の付き添いも無しにFTCJのみんなと来たでしょ?
そして今回は一人でやって来た。
それに大学やFTCJの話しはするのに家の話しはしない、
授業料や生活費も奨学金でやりくりしてるって言うし...」

 

そしてハリエットさんは、来年度の私の留学について、

「お金は足りるの?どこからどれくらい奨学金が出るの?帰国後は生活していけるの?」

といっしょに計算して考えてくれたのです。

 

そして2週目にはジャックさんから、
「君を必要としているところがある。次にフィリピンに来た時には、ぜひそこに行ってほしい。
そこは、親から見捨てられたり家から逃げ出したりした8歳から17歳の子を男女別に保護している寮なんだ。
彼らは人生全ての希望を失って絶望している、夢なんて描けずにいる。
君はそこに行って、彼らに会って、自分の体験を話してほしい」

と、何度も"It's good for them"と言われたのですが、どちらかと言えばgood for meなわけです。

私には、またここフィリピンに来て、これからもKPACIOのお世話になる口実ができただけでなく、
フィリピンでもっともやりたい種類の活動ができるのですから。

 

 「それにしても、由香理、あなたは本当にJapaneseなの?
たいていのJapaneseはパーソナルな質問に答えるのを嫌がるのよ」

とハリエットさん。

「え?そうなんですか?私、気にしないんですけど...」

と言うと、ダフネさんが、

「半分Japaneseで半分Filipino(フィリピン人)なんじゃないの?
だからフィリピンで何食べてもお腹壊さないし、フィリピンに来た時hometownに感じるんでしょ」

と、超適当なことを言うのでした。

 

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 3月10日金曜日、今日がマラボンのスラムで過ごす最終日になります。

授業では折り紙は行わず(160枚も持って来たはずの折り紙がもう足りない)、story tellingを行います。

ここに来る前、日曜日からダフネさんと話しあって、
「日本の子供向けのstoryで何か話してほしい」と言われ、
またあくまで「授業」なので何かしら教育に繋がるメッセージのある物語を
...ということで、私は浦島太郎を選びました。

約束を破って玉手箱を開けたから太郎は不幸になってしまった...、
約束は破っちゃだめなんだよ、という道徳教育です。

 

月曜日から毎晩、アテ ルース(先生の一人)の息子さんがストーリーに合う絵を描いてくれていて、
金曜日までには見事に色も塗られた8枚のシーンができあがりました。

紙芝居のように、1枚ずつ絵を翳しながら私が英語で話し、
1センテンスずつダフネさんがタガログ語に訳します。

お話しが終わった後はダフネさんが引き取り、

 「みんな、主人公の名前は覚えてますか?

そうだね、太郎だね。太郎は男の子ですか、女の子ですか?何をしてた人ですか?」

と言う風に、子どもたちがちゃんと聞いていたかも含めて復習を行って行き、

「だから約束は破っちゃだめなんだよ」までに繋げて行きます。

 

 午後からは以前から日程表に

Forum for parents by Yukari(由香理による保護者のための講演会)

と書かれていたものです。

最終的に集まったのは高校生からお母さん方の約27人。
私の話しの1番最初はタガログ語で始まります。

「マガンダン ハポン(Good afternoon)。
アコ スィ 由香理(My name is Yukari.)
ガーリン アコ サ Japan(I'm from Japan.)。
アコ アイナサ コレヘヨ(I am college student.).
21 ダラワンポ イランタオングラン(I am 21 years old.)。
マサヤ アコ ナ ナキララ クー イカオ(Nice to meet you.)。
サラマ サ パグプンタ(Thank you for comming.)。


とりあえず...金曜日になるころには、これくらいは言えるようになっていました。

 

まあ、ここから先は英語ですが...。
自分が見えなくなった時期と理由、幼稚園から高校までどの段階にどのような教育(や生活訓練など)を受けたかを、
白杖や点字版・ブレイルメモを見せて実演しながら示し
(点字版では自分の名前を紙に書いてそれを回して実際に触ってもらいます)、
そして大学に入ってからの経験からなぜフィリピンに来るようになったかの理由までを、
だいたい10分から15分くらいで話します。

 

その後、30分から40分くらい、質疑応答の時間です。

このコミュニティの大人たちは英語を話すことはほとんどできないので
質問はタガログ語でダフネさんが通訳してくれるのですが、
多くの人が英語を理解はしているので私がしゃべることについては通訳はいりません
(たまにダフネさんが分かっていない人のためにタガログ語で補足していました)。

 

で...本当ならKPACIOのほうも、デイケアセンターの先生方も
このforumはちょっとフォーマルなかんじでやる予定だったらしく、
日頃子どもたちが使っているテーブルにテーブルクロスをかけたりして、
堅苦しい雰囲気にしようとしてたんです。

 

ところが、教室に出入りするのは保護者や高校生だけではなくて、
授業が終わって退屈した子どもたちも自由に出入りしては空気を読まずにその辺を走り回ったり、
講演途中の私に突進して来てみたり、お客さんがタガログ語で質問している間に子どもたちは私に話しかけてみたり...。

 

そもそも、私はこのforumがフォーマルな堅苦しい感じになるのが嫌だったので、
子どもたちが空気をぶち壊してくれることに救われました。

 

しゃべりながらも子どもたちと手を繋いで遊びながら続きをしゃべっていた私ですから。

 

また、「余所者のお客さんで一方的に講演する人」になりかねないイメージを、
「うちの子があんなに楽しそうにしてるんだから、仲間に違いない」と保護者に思わせてくれたのも子どもたちです。

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次のsecondly classでは別の苦労が待っていました。


授業開始前に子どもたちが教室に来たので、私は何気なく机の上で折り紙を始めます。
期待どおりすぐに左右にぴったりと二人の女の子が寄ってきます。

右にいるのがビゲール、左にいるのがシスティマー(両方4歳)です。

私が鶴を折っているのを二人は両側から除きこみ、熱心に見ているのが分かります。
折り終わるとそれを受け取るビゲール。
システィマーが「アノパ」と言ってきます。

 一昨日習った単語で「アノパ」が他には?という意味だと知っているので、
どうやら他にも作れと言われているみたいです。

 

...初めて、子どもたちの言うことを理解できた瞬間です。

 

私はさらに幾つか物を作ったのですが、
終わる度に両側から「アノパ」と催促を受けるので、止めることができません。

 

いいえ、なぜ止めることができないかと言うと、毎回折り終わるとそれをビゲールが受け取るのですが、
後にシスティマーが力ずくでビゲールの手から奪い取り、ビゲールがものすごく怒っているのです。

終いには、折り紙を折っている私と手が当たらんばかりのところに二人が手を出して、
できあがったら我先に受け取ってやろうと待ちかまえているという...。

 私は言葉ができないので、二人の喧嘩を抑えることはできないため、とにかく気をそらします。

 

新しい折り紙を出す度に、「アノン クライ イト?(何色?)」と聞き、二人に答えてもらうのです。

 

6.7歳のクラスになれば私のタガログ語のアクセントが多少おかしくても子どもたちは理解してくれますが、
3.4歳のクラスでは確実に発音できていないと通じません。

 でもこの「アノン クライ イト?」は子どもたちに通じているみたいで、色を答えてくれます。
自分の怪しい怪しいタガログ語に少し自信を持ち始めたきっかけです。

 

 さて、折り紙を折って子ども一人に渡してしまった人は、
その部屋にいる全ての子どもに折り紙を渡す責任があります。

じゃないと不公平となって喧嘩を招いてしまうからです。

 

今日の出席者は7人。

だから最低でも7こは何かを作らなければならないことは覚悟していました。

 

ところが...、

明らかに7こ以上は作ったと想われるのですが、永遠に終わらない二人からの催促と二人の喧嘩。

 

言葉があまり分からないので状況がきちんとは掴めていないのですが、
私がそろそろ何かを折り終わる気配を見せると二人が「アコデー」と言います。

「アコ」は私という意味なので、たぶん「アコデー」はIt's mineみたいなかんじだと思われます。

 

できあがった瞬間にはシスティマーはそこにはいないんです。
だから右側にいるビゲールが受け取ります。

しかし、システィマーが後からやって来て、ビゲールの手からそれを奪い取って行き、
机の真ん中に集めて守っているようなのです。

ビゲールは怒って右手で机を叩きながら、左手を私のほうに出します。

新しい物を作れ、と。

さらにビゲールは机の周りを指さしながら"1234567"と数え、
その後机の真ん中を指差しながら"12345678"と数えて何か文句を言っています。

 

たぶんですが、

「私たちは7人でしょ?折り紙は8こでしょ?だから一人1こでしょ?なのに、なんで全部取るの?」

と抗議しているのです。

 

彼女の言っていることはけっこう正しいのですが、聞く気など無いシスティマー。

っと、ようやく四日目ともなると子どもたちの言ってることは雰囲気から理解はできるようになった私ですが、
この状況をどうすることもできません。

 

せいぜい、取りあおうと待ちかまえている二人に「ヒンタイ(ちょっと待って)」と言う程度なのですが、
これも本当にヒンタイは待ってという意味なのか?

と疑問に想うほど子どもたちは聞いてない。

 

この体験を境に私は「サバイ(togather)」さらに「サバイサバイ」で「いっしょにね」みたいな意味の言葉や、
「ピラ(列)」さらに「ピラピラ」で「列になって並んで」みたいな意味の言葉、などを覚えたのでした。

しかも...もう10時を過ぎていて授業開始時間は過ぎているはずなのに、
いっこうに授業を始めようとしない先生方。

ダフネさんなんて、携帯でハリエットさん(KPACIOの代表者)と電話してますし...。

3.4歳の子たちは机に縛り付けて文字を学ばせるよりも、
睡眠や遊びのほうを重視すべきと考えられています。

 

子どもたちが夢中になるものがある今、それを押しとどめて授業をする必要はない、
という判断なんでしょうけど、それプラス、

ちょうどいい機会だ、今日は自分たち教師は楽ができる...

と思っているように見えてなりません。

 

まあ...、子どもたち以外のメンバーの中では最年少は明らかに私で、
たぶんいっしょに遊べる気力があるのも私だけだと想われるので、仕方が無いのですが、
前のクラスですでに襲われている私なので、かなり体力の限界に来ています。

 

けっきょくこの日、secondly classでは授業らしい授業は行われませんでした。
午前中のクラスで疲れきってしまい、午後のクラスはテンションが上がらず、
もはや子どもたちの相手をすることに気乗りがせず、ものすごく手抜きをしたという、まだまだ未熟な有様なのでした。

 

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