Co-CoLife Vol.3

Co-CoLife Vol.3 page 13/24

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ふたりのあいだvol.2彼女は、病気なのに僕より断然アクティブで(笑)。僕は元々インドア派であまり物事を深く考えず、ボーっと生きてきました。でも、意志が強くて何事にも前向きな彼女と出会って、生きるパワーをも....

ふたりのあいだvol.2彼女は、病気なのに僕より断然アクティブで(笑)。僕は元々インドア派であまり物事を深く考えず、ボーっと生きてきました。でも、意志が強くて何事にも前向きな彼女と出会って、生きるパワーをもらいました。それは、彼女が病気になってからも変わりません。彼女は僕に対して「申し訳ない」という気持ちがあるようですが、彼女は僕のエンジンなんです。彼女と出会ってなければ、本当にただ漠然と生きていたと思います。病気になっても、好奇心旺盛な彼女。料理や裁縫などモノ作りが好きだったんですが、病気の進行で手が自由に使えなくなって。だから時間があるときは、彼女が指示を出しながら、僕がやっています。でも、餃子を皮から作ったり、3段のケーキを作ったりを、このにぶい僕がするわけだからもうちょっと優しく指導してほしい(笑)。彼女の活動については、当事者である彼女が声を発することはとても意義のあること。何があっても前向きに頑張れるところが彼女のすごいところです。活動が忙しいことも逆に彼女らしさが発揮されて良いと僕は思っています。薬の開発もこの1年ぐらい足踏み状態ですが、焦っても仕方ないですし、やれることをやって信じて前を向くしかないですよね。現世では、僕が先に彼女をみつけたので、次は彼女にみつけてほしいって話してます。織田洋一(オダ・ヨウイチ)32歳1980年、長崎県生まれ。大学進学を機に、上京。2003年、法学部を卒業。家業の手伝いや資格取得の勉強の傍ら、妻の患者会の活動を精力的にサポートする。今一番の目標は、資格を取得し、妻の活動を専門的に支援できるようになること。趣味は家族でおいしいものの食べ歩きをすること。2005年、夫25歳、妻25歳で結婚。長男(6)と妻の両親、妹の二世帯住宅。出会い大学の国家資格取得のサークルで。その前に、夫は大学前のバス停で待つ妻を見かけて印象に残っていた結婚へのいきさつ主治医からの勧めで。結婚はまだ先のことだと考えていたが、その日の夜のうちにお互いの両親へ結婚する意志を報告ふたりをつなぐ「あいだ」にあるもの病気によって得たものとこれからの目標交際時、医師から「あなたは進行性の病気なので、出産も育児もどんどん大変になる。早く結婚したほうがいい」と勧められました。当時24歳。子どもを産む、というそれまで当たり前に描いてた夢も叶わなくなるということ、そんな話を夫にしたら優しい彼をしばってしまうことになるんじゃないか。診察室の前で待っていた夫を見てもワアワア泣くだけで何も言えませんでした。でも、事情がわかった夫は「じゃあ早いうちがいいね」とその日の夜にお互いの両親に報告。半年後に結婚しました。普段、ボーっとしていて、うれしいことがあっても、ニヤリとするぐらいで「もっと喜べよ!」と腹が立つぐらい(笑)、喜怒哀楽が少ない夫。でも、彼の覚悟を強く感じて、嬉しかったです。私の患者会の活動に対しても、一番の理解者です。私が活動にどっぷりつかりすぎて「これで妻として母としていいのかな?」と不安になることもあるんですが、私が思うよりも私がやるべきことだと夫は思っているようです。講演会で地方に行く時も、よく介助者として付添いをしてくれています。寝たきりになる可能性がある病気ですが、そのことに対する恐怖は、今はありません。ただ、主人の人生をつぶすのだけは絶対に嫌なんです。いつもありがとう。来世では、私がみつけるからね。織田友理子(オダ・ユリコ)32歳1980年、千葉県生まれ。PADM遠位型ミオパチー患者会代表代行。22歳の時、進行性の筋疾患「遠位型ミオパチー空胞型(DMRV)」と確定診断を受ける。関係省庁への陳情や「スーパーニュース」等のメディア出演、講演活動など、精力的に患者会活動を行う。著書に『心さえ負けなければ、大丈夫』(鳳書院)。同じ目標に向かって13文:松永幸枝撮影:酒井誠治デザイン:竹内有布子