Co-CoLife Vol.4

Co-CoLife Vol.4 page 14/24

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1987年、泣き声の弱い赤ちゃん(次女、里美)が生まれました。2歳違いの姉と仲良く遊ぶ姿を想像しながら、ごく普通に出産。ところが1カ月検診で心臓が悪いことを知らされます。当時、地元では治療が難しい重度の心臓病....

1987年、泣き声の弱い赤ちゃん(次女、里美)が生まれました。2歳違いの姉と仲良く遊ぶ姿を想像しながら、ごく普通に出産。ところが1カ月検診で心臓が悪いことを知らされます。当時、地元では治療が難しい重度の心臓病で、東京での手術が決まりました。生後1カ月で最初の手術、その後も2カ月、2歳になる少し前、小学6年生と合計4度の手術を受け、何度も生死の境をさまよいました。大きな試練を乗り越え、ようやくあとは経過観察というところまでたどり着き、ほっとしたと思ったら、今度は言動に異変が生じます。小学校高学年のころから、様々な動きや声が目立つようになり、環境が変わった中学では悪化の一途をたどります。初めて訪れた精神神経科で、告げられた診断名はトゥレット症候群。それからが戦いでした。薬を飲み始めたころは効きも良く、一時的に落ち着きを見せていましたが、それも束の間、症状はひどくなる一方でした。学校から帰ると、震えが止まらず、タオルを口に入れて寝ていた娘。その時の姿を思い出すと、今でも胸が締めつけられます。不登校になったばかりか、姉妹の仲にも影が差し、受験を控えた長女も勉強が手につかない……。私は途方に暮れました。トゥレット症候群は世の中に知られていません。そのため、人々に誤解され、視線を浴びます。娘のチックに振り向く人がいると、ついつい反応してしまう、時として一緒に歩くのが嫌だと感じてしまう、そんな自分が情けない……。「わざとチック出してるわけじゃない!」「私だって辛い、私だって次々出てくるチックにどうしようもないのよ!」「お母さんには分からないでしょ!チック出してる気持ちが」。「お母さんだって辛い、でもどうしていいか分からないのよ」。毎日のように衝突し、体力的にも精神的にも疲れ果て、最悪のコンディションに。親子であるにも関わらず、「どう接したらいいのか」と神経を使い、お互いが心の中に葛藤を抱える状況が今も続いています。「娘が悪いわけじゃないのに……。親として失格だなあ?」。何もかもが崩れていくようでした。汚言症にも悩まされています。年ごろの娘が、いやらしい言葉を大きな声で発する時の、その心境は、恥ずかしくて冷や汗をかくほどだといいます。その場から消え去りたい気分になるそうで、それを聞かされた私も冷や汗をかき、娘の気持ちを思うと、辛くてたまりません。とにかく嫌な言葉ばかりを発するので、聞いている私も我慢の限界です。大きなストレスと戸惑いの中、幾度となく方向を見失いそうになりました。「お母さん、私にはチックが一生つきまとっていくんだよ。いつもくっついていて、寝ている時だけが楽だよ」。返す言葉もなかったです。何度ふたりで「死にたい」と、「楽になりたい」と思ったことか。私も覚悟したことがありました。14大川原恵美子さん24歳でサラリーマンの夫と結婚、専業主婦に。ふたりの娘の社会人デビューを機にパートを開始。音楽鑑賞をしながらのウォーキングが日課。お休みの日は友人とのランチやカラオケでリフレッシュしています。手記を寄せていただいたのはトゥレット症候群と共に生きる障がいのある子を持つということ親の愛―実感できないとたまらなく不安なのに、あり過ぎると重荷になる。あきれるほどに不器用で恥ずかしくなるくらいストレート、ときに誤解や葛藤も。でもどうぞ丸ごと受け取ってください。そして愛されていることに自信を持ってもっともっと輝いてください。診断名はトゥレット症候群それからが戦いでした「寝ている時だけが楽だよ」返す言葉もなかったです小学校4年生。発症前のひとコマ。親子でちょっとおすましして編集:加茂桂子デザイン:堀内頼子